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百人一首の謎を解く (新潮新書)

05/31/2020 07:18:55, , 草野 隆

によって 草野 隆
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内容紹介 謎はすべて解けた! 誰が何のために? なぜ代表作が撰ばれていない? なぜ不幸な歌人が多い? なぜ神様、仏様の歌がない? 「発注主」と飾られていた「場」に注目することで、あらゆる謎を鮮やかに解く。 定家のたくらみ、見破ったり! 1 いつ出来たのか 2 誰が作ったのか 3 何のために作られたのか 4 神様や神話時代の歌、また仏様、高僧の歌がないのはなぜか 5 賀の歌、釈教の歌がないのはなぜか 6 不幸な歌人が多いのはなぜか・幸福な歌人の歌が少ないのはなぜか 7 和歌史に残るような実績のない歌人の姿が見えるのはなぜか 8 「よみ人しらず」の歌がないのはなぜか 9 その歌人の代表作が選ばれていないのはなぜか 10 後鳥羽院、順徳院の歌は、なぜ入っているのか 11 『百人秀歌』と『百人一首』の関係はどのようなものなのか 12 近代の研究者は、なぜ『百人秀歌』・『百人一首』の理解を誤ったのか 長年未解決だった12の謎に明快な答えを示す快作! 内容(「BOOK」データベースより) 「百人一首」には数多くの謎がある。誰が何のために作ったのか?不幸な歌人が多いのはなぜか?歌人の代表作が撰ばれていないのはなぜか?神様、仏様の歌が一首もないのはなぜか?その答えは、そもそもこの撰歌を発注した者の意図と、その歌が飾られた場所に着目することで見えてくる。長年、解かれぬままになっていた様々な謎に対して、明快で説得力に満ちた「解答」を示す、百人一首の見方が一変する一冊。 商品の説明をすべて表示する
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当方アマチュア、ただの百人一首・歴史好きです。『小倉百人一首』として伝わる玉石混交の歌集の謎を解くカギとして「依頼主である蓮生の背景を考慮することは重要」というのは理解できる主張です。しかし、肝心の「この歌集で定家が表現したかったのはこの世の苦しみ=四苦八苦であり、そこに定家独特の味付けがしてある」という部分については、論立てが雑で、説得力に欠ける部分も多いというのが正直な印象です。以下、筆者の主張と私の受けた違和感です・「苦しみを表現するために不幸な歌人を優先的に選んだが、特別不幸でない歌人については代表作を選んだ」→このような統一感のない選び方を、几帳面な定家がするでしょうか。・「実朝はそもそも選ばれるほどの歌人ではない」「実朝を入れたのは幕府側の人間である蓮生に気を使って入れた」→実朝が評価されたのは近世以降とはいえ十分に優れた歌人として評価されていると思いますが、「上手でないのに不自然に入っている歌人」として扱われています。それについて特に根拠を示しているわけでもありません。さらに実朝と定家に交わされた鎌倉−京間での心の触れ合いを考慮すれば蓮生への気遣いなどという理由付けをする必要があるとは思えません。・「百人秀歌で後鳥羽院・順徳院の歌が除かれていた理由として従来”幕府による言論統制”説があるが、当時鎌倉幕府によるそのような規制はなかった。言論統制説は百人秀歌の発見当初、GHQ占領下にあった日本の世相を反映したものだ」→筆者の言うように六波羅探題による言論統制はなかったかもしれませんし、蓮生の立場では遠慮する必要がなかったのかもしれませんが、流罪になった人間の歌を”憚る””避ける”という一般的な感覚・常識は当時あったのではないでしょうか。後鳥羽院や順徳院の歌がすべて除かれ、特に戦後と発見もかぶっていない『新勅撰和歌集』などほかの状況証拠もあります。”鎮魂”をひとつの目的として語るのであれば、罪人の名前を出さない、憚る文化、すなわち言霊を重視する文化というのはむしろ日本的であるとさえ思います。・「中納言が多いのは定家がずっと中納言になりたかったから。中納言の中に自分の名前が並んでいるのは誇るに足るものであったろう」→・・・どこまで本気で言っているのかよくわかりません。流石にここまで来るとこじつけが過ぎるのでは。筆者の言う”小倉山荘色紙の草案が百一首なのは、自分の歌を除けばちょうど百首になるから百一首を提出したのだろう”という話と完全に矛盾しています。蛇足。さっと斜め読みしただけでもこれだけあります。他にも「仏教歌がない。例外なのは慈円の一首のみ」「恋の歌は作者の性別で歌われている。これにあてはまらないのは定家と素性法師のみと極めて少ない」など、なんというか、例外があるなら違うんじゃないの、と思ってしまうお話が多く、結論有りきの辻褄合わせと感じます。おそらく前提として筆者は、定家は比較的”短期間”で”気軽”に”遊び心を入れて”選んだ、と考えているのだと思います。それはそれで一つの説、といえるのでしょうが…定家のこだわり屋加減を考慮に入れない、浅薄な説という印象は拭えません。実朝との関係や新勅撰和歌集の例からも、正直なところ、この筆者は「蓮生のことを知るべき」と言う前に、「定家のことを知るべき」ではないか?と思えてしまうのです。他のレビュアーの方も言及されていますが、百人一首の謎というテーマを掲げながら、一定の評価を得ている織田正吉『絢爛たる暗号』について一言の言及もないこと、参考文献にも含まれていないことは違和感を覚えます。こちらの説は、「月」「風」「衣」「もの思ふ」「命」など類似のキーワードをつなげて歌を並べいくと方形が出来上がること、100首中桜以外の花を歌った歌は菊・梅一首ずつしかなく、そこから導き出されるのは定家と関係の深い後鳥羽院(菊)・式子内親王(梅)である、というものです。『百人秀歌』と『百人一首』が同時代のものであるという前提のお話でした。筆者の主張と織田氏の説は明らかに両立し得ないからこそ、Referencesに入れ、Discussionとして反論するという態度がアカデミックと言えるのではないでしょうか(アカデミア所属のようですし)。個人的には”本歌取り”や”折句”など、歌と歌との有機的な繋がりをとても大事にしていた定家らしい説は織田説かな、と思いますし、論立ての説得力もこの本とは段違いだと思います。が、織田説がすべて真実だ、とも思っていません。百人一首の謎を考えるとき、社会背景や歴史的人物に思いを寄せ、あれこれ考えることはとても実りが多いものです。このような分野に一石を投じた(それがどんな石であれ)ということで、内容的には★1のところを★2という評価としました。この本を読んで「そうだったのか!」と膝を叩くのは、特殊な医学本を読んで「そうか、癌は放っておくのがいいんだ」と思ってしまうような危うさを感じます。眉に唾をつけながら、あくまで一説として楽しむのがよいでしょう。

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